如意谷銅鐸

  箕面市史 図譜久 郷土出版社 1998年発行より

 銅鐸の外形は中国古代の編鐘に類しているが、それは舌(ぜつ)のありかたに徴して振り鳴らす鈴の系統に属するものであろう。わが国では祭事で竿頭に釣り下げて振り鳴らす小形のものから、据え置かれる祭具として大型のものへと進んだ。如意谷銅鐸はまさにこの時期のもので、近畿式の最も新しい部類に入る。この銅鐸がそれをいれ得るだけの穴をうかって埋められていたのは、ベトナム地方の古代祭具の銅鼓のように、日ごろは土中に埋め置かれ、祭事には掘り出して用いられるものであったのが、祭儀の変革で忘れ去られ、埋め置かれたままになっていたのであろうか。
 先に茨木市奈良遺跡から銅鐸の石笵が発見され、豊中市原田神社銅鐸はその鋳造であることが明らかになった。如意谷銅鐸の鋳造工房も意外の近傍にあったかも知れない。

如意谷銅鐸 箕面郷土資料館にて
発見当時の状況  箕面市郷土資料館にて

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