如意谷の三ツ石
如意谷もみじだより 昭和60年12月 ふるさと史跡めぐり その9より
銅鐸の見つかった如意谷団地の後方、ひときわ高い山地が三ツ石山です。ススキや雑木がまばらに生えている平らな山頂に、大人の腕でもふたか抱えほどの巨石があります。 |
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平成16年撮影 | |
もとは三個あったそうですが、一個は10mほど下の斜面くぼ地まで転がり落ち、もう一個はさらに下の谷底で見られるそうです。 | |
大人5人の力では微動もしない巨石が、いつしか動いて場所も別になり、今見られるようになってしまったといわれます。それにしても、小石すらない山頂に三個もの巨石があった事は不思議です。
三ツ石山の南側ふもとには、如意輪観音を祭るお堂があります。古い時代に栄えた摩尼山如意輪寺という大寺の後身であるといわれており、安産祈願の子安観音ともいわれて、根強い信仰を集めていました。 そして、この観音もまた注目すべき伝承をもっています。その大筋は「その昔、三ツ石山におられた観音様が、いつのころか村里に降り立たれた。それが今の如意輪観音様である」ということです。つまり、三ツ石の化身が観音様だというのです。 そこで思い出されることは、医王岩にまつわる神々の話です。三ツ石の場合では、神の誕生説話は欠けてますが、そのモチーフや話の構成は、全く同じであることがわかります。古い時代に巨石から誕生した神が「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という神仏習合の思想で仏に化身した、それが如意輪観音なのでしょう。現存の尊像は室町初期の作品ですが、その顔立ちはことのほか優美です。後年、子安祈願の信仰がもたれた因縁の一つでしょう。 それにしても、三ツ石山の巨石と観音説話などは、この地域の開拓と発展につとめた先人たちの足跡であり、その中味を探るためにも、大切に保存したいものです。 |
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摂津八十八ヶ所 第五十六番霊場 高野山真言宗 「宝珠院」 安産子安観音 |